子の心親知らず 【このこころおやしらず】 親が我が子を見るときには、いつまでも幼いままに見てしまいがちなもので、 少しずつ成長していく子供の気持ちを正確に理解するのは容易ではないということ。
我が子を幼くみてしまうのは、親として自分の力で子どもを包み込むというのだ
という気持ちの現れでもある。これを責任感という。
しかし、物事には“程(ほど)”というものがある。親の責任感が大きく強いものであるほど
子どもの自立心が阻害される危険はあるだろう。子育ての中において、そのバランスを
意識することも怠ってはならないのだと、再認識をした思いだ。
2009年11月2日16時15分・asahi.comより
登山の小5、死亡確認 沢近くで発見 不明から2昼夜 宮崎、鹿児島県境の韓国(からくに)岳(1700メートル)で10月31日に家族と登山中に行方不明になっていた宮崎市の小学5年の男児(11)は2日午後0時26分ごろ、8合目から大浪(おおなみ)池方面の間で心肺停止の状態で発見された。宮崎県の防災ヘリコプターで同県小林市の病院に搬送されたが、午後3時12分、死亡が確認された。
男児は、宮崎市大坪西2丁目、同市職員(40)の長男。
2日午前7時半から宮崎県警えびの署や陸上自衛隊などの1200人態勢で捜索していた。鹿児島県霧島市消防局の消防隊員が、大浪池近くの避難小屋から約500メートル登った登山道から30メートルほど離れた沢付近で発見したという。服装から捜索中の男児と断定した。
沢に沿って高さ約3メートルの傾斜があり、男児の頭部に外傷があったことから、同消防局などはこの傾斜を転落したとみている。
同署や関係者らによると、男児は31日午前11時20分ごろ、両親と祖父、妹の5人でえびの市のえびの高原側から登山。男児は2合目付近で「先に行くね」と言い、1人で進んだという。家族が頂上に着くと姿がなかったため、下山して通報した。
韓国岳は火山活動によって生じた霧島連山の主峰。約1時間半で登頂できる気軽さや、豊かな植物が登山客の人気を集めている。
たとえば、子どもが自転車に乗れるようになるための練習をするというときに
子どもが乗っている自転車を、ずっと後から支えている親はいない。
何故か?支えているうちは子どもにとっての練習にならないからだ。
手を放すことは、子どもの力に賭けて、委ね任せて自立を促すことであり、
必要なことである。その過程を経ずに自転車に乗れるようにはならない。
しかし、それをわざわざ片側2車線の、クルマがビュンビュンと走る道路で
行う親がいるだろうか?普通の感覚であればいないだろう。
それではあまりにも危険で、練習どころではないと想像するからだ。
“放任”していれば、なるほど、子どもはよく発達して自立の力が強くなるかもしれない。
しかし、それでは親としては無責任であろう。今回の報道で、子どもに“課す”には
時と場合をよくよく考えるべきだと、そう、教えられた様に思う。
また、親が子にしてやれるのは『それが精々である』というふうに捉えていくことで
そこを放棄してはダメと意識するのが、あるいは務めを見失わずに済む道かも知れないとも思った。
小学5年といえば、随分と大人びて周りの大人も『頼もしい』と感じる年齢かも知れない。
それが、親の判断を誤らせることになったのか・・・。報道された状況から推察するに、
男児が滑落の恐怖と骨折の苦痛に挟み込まれるようにして命を失った可能性は高い。
それを思えば、見ず知らずの他人である私ですら心が痛むのであるから、
実際に男児を知る方々、特に共に出掛けた家族の心痛は如何ばかりであろうか。
両親や祖父ら、一緒にいて男児の先行を止められなかった大人を責めるのは簡単だ。
確かに事故の発生を原因を導き出すなら、そこに行き着くだろう。
ただ、私はそうやって責めることが正しいとは思わない。自分に良識あらんとするなら、
遺族となった大人たちを責めるよりも、自分がそうならないようにと慎みに繋げるべきだろう。
亡くなった男児の冥福をいのります。
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ブログラムです★ 使い方がよく分かっていません(汗)

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